得体の知れない、実体のない、「誰か」という、ぼやけた総称で呼ぶ時、私たちは無意識に、自分の存在をまわりにアピールしています。うちの会社はねと、愛社精神を披瀝するときも、うちの会社はだから駄目なんだと、会社批判を展開するときも、結局は、自分の存在を知らせている、つまりは、自分の自己重要感を、まわりに無意識にアピールしているのです。